こんにちは。ろぺ @rope624 です。
今回のタイトルにもなっているこの言葉は、小児科医の熊谷晋一郎先生の言葉です。
出典:東京都人権啓発センター
初めて聞いた時は目からウロコが落ちましたが、今ではかなり浸透してきているのでご存知の方も多いのではないかと思います。
今回は、先生のインタビュー記事を元に、依存と自立の関係について考えてみたいと思います。
自分には「依存先」が少なかったことを知った熊谷先生の体験
「自立とは、依存先を増やすこと」今では広く知られている熊谷先生のこの言葉ですが、先生がそれに気づいたのは東日本大震災の時だったと言います。
先生は、新生児仮死の後遺症で脳性まひになり、それ以後車いす生活を送っていらっしゃいます。
東日本大震災の当時、先生は建物の5階にある研究室にいらしたようで、地震でエレベーターが止まってしまい逃げられなくなってしまったのだそうです。
その時に、自分は逃げるための「依存先」が少なかったことを知ったのだといいます。
普通の人ならば、例えエレベーターが止まってしまっても、階段やはしごで逃げることができます。
ですが車椅子の先生はエレベーターを使うことでしか逃げられなかったんです。
その状況に出くわした時に、他の人はエレベーターや階段やはしごなど複数のものに頼っているのに対し、先生はエレベーターにしか頼っていなかったことに気づいたのだといいます。
つまりそれが「依存」の状態なのではないかと。
障害の本質は依存先が限られていること
熊谷先生によると「障がい者」とは、「依存先が限られてしまっている人たち」のことであると仰っています。
世の中のほとんどのものは、健常者向けにデザインされ造られ、そして世に出回っています。
建物や交通機関、家電や家具や生活用品、食べるものから着るもの身につけるものまで、そのほとんどが健常者のことを考えて健常者用に造られています。
その世の中に存在する、あらゆるモノの中から、みんな自分の好きなものを当たり前のように選んで買ったり、使ったり行ったり、食べたりしています。
それはごくごく自然なことで、誰もが当然のように毎日おこなっていることですが、障がいや病気がある方達は少し違います。
その選択肢が限られた、小さな世界の中で生きています。
例えば、小麦アレルギーがあればパンが食べられません。パスタが食べられません。クッキーもケーキも食べられません。
この世に存在する数ある食べものの中から、選択できるものがグンと狭まります。世界が小さくなります。
目が不自由で盲導犬を連れていたり、体が不自由で車椅子で移動していれば、入れるお店や行ける場所も限られてくるでしょうから、
楽しめることも行動範囲も、普通の人に比べ狭まるでしょう。
このように、障がいや病気がある方たちは、健常者と比べ選択できる種類や数が限られてしまっているのです。
選択肢が少ないのです。依存先が少ないのです。その少数のものに頼って「依存して」生きているのです。
つまり健常者は沢山のものに頼って(依存して)生きているのに対し、障がいや病気がある方は、その限られた依存先の中で生きているということです。
健常者は何にも頼らず自立して生きているように思われがちですが、本来は逆なんですね。
その選択肢の狭さが、苦しさや生きづらさの原因に繋がっているのだと思います。
依存症の本質は繋がりの喪失
これは依存症に置き換えてみても同じことが言えると思います。
依存症の方も頼れるものが少ないです。それも極端に。辛いときや困ったときに頼れるものも頼れる人も少ないのです。
そもそものところ、依存症の方は人に頼れません。
人に頼ること助けを求めることが苦手です。
それは幼少期や過去の苦い経験がトラウマになっているからかもしれません。
人に頼ることは悪いことだ恥ずかしいことだとか、頼ることは弱い人間のすることだとか、
あるいは、自尊心の低さから、自分は助けてもらうような存在ではない、助けてもらう価値すらないなどと思っているかもしれません。
そして、これは私自身がそうだったので思うのですが、人を信じることが怖いのではないかと思います。人が信用できないのです。
それもやはり、そう思うようになってしまった出来事やキッカケが過去にあるからだと思いますが、
人が信じられなければ当然頼ろうとも思えないはずです。助けも求められないはずです。全部自分でやろうとするはずです。
人に頼るということは、その人を信じているからこそできることだと思います。
「信」じて「頼」るからこそそこに信頼関係も生まれます。それができないということは、信頼関係も深い人間関係もつくれないということではないでしょうか。
ですが、依存症において一番問題なのは孤立してしまうことです。
孤立して人や社会との繋がりが薄くなればなるほど、残された何かに依存していきます。のめり込みます。
まさに選択肢が少なく、頼れるもの依存できる先が限られてしまっている状態です。
繋がりが失われた状態が、依存症を生みます。依存症の本質は繋がりの喪失です。
ですから、回復には依存先や頼れる先を増やすこと、人や社会と繋がることが大切なのです。
【体験談】彼とのたった二人の生活
これは、はるか昔の私の体験談なのですが、当時付き合っていた彼と二人きりで、まったく知らない土地にアパートを借りて引っ越したことがありました。
二人とも訪れたこともない街で、もちろん顔見知りもいません。
お互い家族ともうまくいっておらず、連絡も取っていないような状態で、さらには友達もほとんどいなかったので、何かあっても相談できる人もいませんでした。
毎日、彼氏が仕事に行って帰ってくるまでの間、私はずっと家でひとりでした。
掃除や洗濯をしてご飯を作るのが日課だったのですが、とにかく彼氏が帰ってくるまでが寂しくて寂しくて…
仕事中で返信できないのが分かっていながらも数時間ごとにメールをしたり、ちょっとでも帰りが遅いとすぐに電話したり、
とにかく不安で不安で落ち着いていられなかったのです。
メールが返って来なかったり何度かけても電話に出なかったりするとパニックになっていました。
うぁぁぁぁぁああああ!!ってなってケータイを投げたり、物を投げて壊したり、服やカーテンを切り刻むこともありました。
何が言いたいかというと、つまり完全な依存状態だったわけです。
彼氏という存在以外に頼れる先がなかったのです。依存先がなかったのです。
彼氏と二人だけという、閉ざされたとても小さな狭い狭い世界の中で生きていました。
その時の自分は仕事もしていなかったし、楽しみや趣味や生きがいもなく、家族や友達との繋がりもなく、そして見ず知らずの土地に彼と二人っきりの状況でした。
これは非常にまずかったと思います。とても危険な状態です。
選択肢が少ないどころか、何においても「彼氏」という選択肢しかありませんでしたから、
彼氏がいなければ何もできない、不安で不安で仕方ない、完全な依存状態をつくり上げていました。
「自立とは、依存先を増やすこと」まさにこの言葉がピッタリの状況だったと思います。
もっともっと頼れる先が必要でした。負担を分散するべきでした。彼氏にずっと手を繋いでもらっていないと居られない、赤ちゃん状態でした。
こういう状況には気をつけてほしいと思います。パートナーとの関係もですが、親子の関係もです。
親と子、たった二人だけの狭い世界になってはいないでしょうか?親以外に、お友達やご近所さんや先生や、顔見知りのお店やおじさんおばさん、
そういった人との繋がりや地域や社会との交流はあるでしょうか?親以外に、困ったときに助けを求められる人の存在や居場所はあるでしょうか?
何度も言いますが「自立とは、依存先を増やすこと」です。
回復のカギは、依存先を増やすこと・繋がること
今までの話からも分かるように、依存は決して悪いことではありません。頼ることは悪いことではありません。
問題はその頼り方なんです。
ひとつのものやひとりの人だけに頼るのではなく、なるべく多くの頼り先を作ってください。
なるべく多くの楽しみや好きなことを見つけたり、困ったときに相談できる人や弱音を吐ける人や、助けを求められる場所を見つけてみてください。
そうして依存先を増やし、ひとつひとつの依存度を軽くしていくことで、パワーが分散され、何かへの病的な依存も軽くなっていくのではないかと思います。
『本当は色んなものに依存しているのに「自分は何にも依存していない」と思える状態こそが自立といわれる状態』なのだと、熊谷先生も仰っていました。
ですから、なるべく多くの選択肢や逃げ道をつくってリスクを減らし、
少しずつ人や社会との繋がりを広げ視野を広げていくことが、依存症の回復のためには大切なことではないかと思います。
「絶望」を分かちあった先に「希望」がある
そこで大切になってくるのが、同じ痛みや悩みを抱えた仲間の存在ではないかと思います。
今はSNSも自助グループもあります。同じ痛みや傷を抱えている人達と繋がれる場はたくさんあります。
同じ苦しみや痛みを持った人と出会える場所も繋がる方法もたくさんあります。
今回の記事のタイトルにもなっている通り、私は熊谷先生のこの言葉がとても好きです。
自立は、依存先を増やすこと
希望は、絶望を分かち合うこと
希望の反対は絶望ではなく、絶望を分かち合った先に希望があるのだと。
確かに、私自身もそうでした。
苦しくて苦しくて死にたいくらいのどん底だったとき、救ってくれたのは同じように絶望の中にいたみんなの存在でした。
みんなツラいツラいと言いながらも、過食や何かに頼りながらも必死に生きていました。
今日もよく頑張ったね、よく生き延びたね、わたし達よく生きてるよねって、毎日言い合っていました。
だからここまで生き延びて来られたんです。
痛みや苦しみを分かち合える仲間の存在は、本当に支えになります。希望になります。
どうぞ、独りで悩まないでください。
孤立してしまわないでください。
みんなで苦しみを分け合って、支えあって、絶望を希望に、生きづらさを生きるチカラに変えて、共に歩んでいってほしいと思います。

今日も最後まで読んでくださってありがとうございました。
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