こんにちは。ろぺ @rope624 です。
摂食障害が依存症であるということは、今ではだいぶ認知されてきているとは思いますが、
まだまだ、本人の甘えだとか自分の意思で止められるなどという根性論の意見や、偏見などもちらほら見受けられます。
今回は摂食障害は快感への依存症であること、そしてそれは痛みを麻痺させるために起きるのだということをお話をしてみたいと思います。
依存症については以前にも別記事↓にしてありますので、そちらも合わせてご覧下さい。
摂食障害は快感への依存症
摂食障害を発症する原因は人さまざまで、いろんな要因が複合的に複雑に絡まって発症していますので、何が原因かは人それぞれですが、
共通して言えるのは「快感への依存」です。
アルコールやドラッグなどもそうですが、結局この「快感」を求めて依存していきます。快感の虜になっていくのです。
アルコールやドラッグ、過食の場合は「食べもの」ですが、それらを摂取したときに脳から出るドーパミンが、幸福感や快感をもたらしてくれます。
この幸福感や快感を脳や体が覚えると、またその幸福感を求めてアルコールやドラッグや食べものを求めるようになります。
快感がやみつきになるのです。癖になるのです。
くり返しくり返し摂取するうちに、脳も身体もその快感に慣れてきてしまいますから、次第に快感も感じにくくなります。
そうしてどんどん量も回数も増え、知らず知らずのうちに依存症になっていきます。
「過食の場合」美味しい!の快感への依存
過食の場合は、食べたときのあの「美味しい!」の感覚に依存します。
美味しいものを食べると「美味しい〜!幸せ〜!」ってなりますよね。
その時、脳からドーパミンが出ているわけです。
とくに「砂糖」は依存しやすいと思います。砂糖中毒なんて言葉もありますが、ドラッグよりも中毒性があるという話も聞きます。そのくらい砂糖は依存性や中毒性があるようです。
私もやはり過食のときは甘いものやパンやお菓子や「糖質」ばかりを食べていました。
甘いものを食べると幸せホルモンが出て幸福感を感じられるからです。
菓子パンやケーキやクッキーやチョコレート、アイスクリームや甘い飲みものを過食するのが毎日の楽しみでした。
食べることだけが唯一の楽しみでした。
それ以外に生きる楽しみがなかったのです。そのことがより一層、私を食べものの世界に引き込みました。
ですがこの食べたときの幸せ感や「美味しい!」の感覚は、その一瞬だけです。ひとたび食べ終わってしまえばまた元の現実が待っています。
幻の世界は必ず覚めます。
するとまたあの「美味しい!」の快感を求めて食べものを頼るようになるのです。
食べては覚め、食べては覚め、だからまた求める、永遠に終わりがない依存症の世界がそこにはあります。
「拒食の場合」痩せることの快感への依存
拒食の場合は何に依存しているのかというと、痩せることへの依存や、食べないことの快感への依存です。
体重が一キロずつ減っていくあの感覚が、嬉しかったし心地良かったのを覚えています。
痩せていくことが快感でした。褒められることが快感でした。なんだか自分が無敵のようにさえ感じられていました。
体重や体型をコントロールできているということが、何だかこの世を支配しているような感覚でした。優越感さえありました。
それと、長い時間食べないことでダイエットハイのような状態になっていました。
常にテンションがハイになっていて、目がギラギラしていて、高揚感や無敵感があるんです。
まるでマリオのスター状態みたいに。不思議なんですがその時は何も怖いものがないんですよね。
その感覚が何とも心地よくて、私は痩せることに依存していったように思います。今考えると本当に危険な状態でした。
依存症になる人とならない人の違い
このように、過食は食べることへの快感への依存、拒食は痩せることへの快感への依存であることが分かりましたが、
私は兼ねてから疑問でした。
どうしてダイエットしても摂食障害になる人とならない人がいるのだろう?
どうしてお酒をたくさん飲んでも依存症になる人とならない人がいるのだろう?
…と、ずっと不思議だったんです。
でも今ならもちろん分かります。それは、
心に問題を抱えているかどうかです。
心に傷や痛みを抱えていたり、孤独感や生きづらさを抱えていたり、自己否定感や無価値感を抱えていたり、
そういった心の問題を抱えているかどうかです。
アルコールもドラッグも過食も、そのツラい現実から一時だけでも幸せな世界へ連れていってくれます。
だから、一時でも逃れさせてくれるその何かに依存していくのです。またあの幸せな世界へ行きたいと思うわけです。
初めはストレス発散やほんの興味から始まったとしても、心に問題があるとどんどん依存していきます。
いつの間にかそれが無いと生きて行けないほどのめり込んでしまうんです。
それらは「快感」を得るのと同時に、痛みを麻痺させてくれます。
ツラさや生きづらさを忘れさせてくれるのです。感じなくしてくれるのです。鎮痛剤的な効果があるんですね。
ですから、依存症を治していくということは、その症状を取り除くというよりは、その苦しみの根っこを取り除いていくということです。
過食を無理やり止めることではありません。体重を増やすことでもありません。それは結果としてついてくることです。
いくら枝葉を切っても切っても、根っこが残っていればまた枝は生えてきます。
本当の治療は心の問題と向き合うことです。
依存症は心も体も人生も壊していく
依存症は心だけでなく体も人生も壊していきます。
私も歯が無くなったり生理が無くなったり骨ももろくなったり、大切な人や大切なものまでもを失ってきました。
とくに過食の場合、とてもお金がかかります。一度の過食に何千円とかかります。
ですから過食し続けている限り、その為のお金を稼ぎ続けなければなりません。
これは本当にシンドいです。私がそうでした、何のために働いているのかも何のために生きているのかも分からなくなりました。
借金してまで食べていました。依存症になるともう理性なんて働かなくなるんです。それがないと生きていられないんです。自分を保っていられないんです。
苦しみから逃れたくて、幸せを感じたくて頼っていたはずの何かが、人生を壊していきました。
皆さんにはそうなって欲しくないです。
だからこうしてブログを書いています。自分の経験をここに残そうと。それを見て一人でも誰かが何かを感じてくれればいいなと。
それが今までの経験を無駄にしないことであり、自分自身をも救うことだと思っています。
病気になったことも歯が無くなったことも、失敗や挫折や苦しんだ経験も、すべては人のためにあったと思っています。
同じように苦しんでいる人達のために。
自分が失敗とか汚点だと思っていることは、他人からすると宝なんです。
知りたい情報であり求めている情報なのです。
本当ならここから過去の自分に届けたいけど、さすがにそれは無理なので、せめて皆さんに届いてくれたらと思います。
どうか、目をそらさずに、自分自身と、自分の心と、自分の人生と向き合ってみてください。
考えてみてください。
自分は何が苦しいのか、どんな痛みや苦しみが心にあるのか、何が引っかかっているのか、
何かに依存しなければ生きていけないほどの苦しみや生きづらさの原因はなんなのか、、
自分の心に問いかけてみてください。
すぐには答えは出ないかもしれません。でもそれでいいんです。すぐに見つかるものではありませんし、それを見つけるために考えたり悩んだり行動することこそが大切だからです。
どんなに時間はかかってもいいので、少しずつ自分自身と向き合ってみてください。
誰かに自分の人生を委ねるのでなく、誰かに歩かされるのでもなく、自分で自分の自分を歩くために。

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
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