「人は人と繋がるために生きているんだよ。」
いつだったかそんなことを言っていた人がいた。
けれどその時の私には、そんな言葉はまるで響かなかった。
ひとりでいるほうが断然、好きだったからだ。
私にとって人と接することは容易なものではなく、とても体力も精神力も使うものだった。
人というものはとても面倒くさいものだと思っていた。
(…それはまだ今でもそうなのだけど)
そんな性格だったから、生まれてからこのかた、人との深い関係など築けたことはなかった。
そもそも、人との深い繋がりとか関係とかが一体どういうものなのか、
どうしたら人と深く繋がれるのか、その方法が分からなかった。
おそらく、人と深い関係を築けない人は、自分を表現するのが苦手だ。
自分の意見を言うのも、相手に何かを伝えるのも、下手くそだ。
私がまさにそれで、子供の頃から自己表現も意思表示もうまくできない、不器用な人間だった。
自己表現の方法が分からなかった。自分の感情の出し方が分からなかった。
だからたぶん、音楽とかアートの方面にいったのだと思う。
言葉で自分を表現できない人はファッションで自分を表現すると聞いたことがある。
同じようにアートや音楽も、自分を表現するものの一つだ。
だから私はずっと音楽を続けることで自分を保っていたのだろう。
唯一音楽の中では、自分をさらけ出すことができた。自分を表現することができた。
その中でだけは、私は自由でいられたし、私は私でいられたのだ。
それが音楽を辞めたとたん、私は自分を表現する場所を失った。自分が自分でいられる居場所を失くした。
そうしていつからか、その居場所を食べ物の中に見出すようになった。
そこが私の居場所になった。
食べ物の中に、苦しさや寂しさやいろんな感情をぶつけた。
食べ物の中に、人の優しさや温もりを求めた。
食べ物の中に、愛と癒しを求めた。
食べ物の中に、自分自身をも求めた。
そうやって私は私を保っていた。
けれど、それは永遠には続かないのだということを、ある時知った。
それどころか、時間と共にどんどん心は壊れていった。年々、体もボロボロになっていった。
ひとり、またひとりと、人も離れていった。気づけば完全な孤独になっていた。
未来に希望などなかった。生きたい気持ちもなかった。
ただただ毎日が地獄だった。
人生のどん底で絶望的になっていた、、まさにそのとき、
救ってくれたのが「人」だった。
あれだけ避けていた「人」だった。
面倒くさいとかウザイとか思っていた「人」だった。
人の優しさや愛が、完全に凍っていた私の心を溶かしてくれた。
そのとき、
私が食べ物の中に求めていた愛や癒しや救いや、あらゆる感動や生きる気力は、すべて人がくれるものなのだと知った。
私が真に欲しかったのは、それなのだと知った。
たぶん、摂食障害はそれを教えに来てくれたのだろう。
あなたが求めているのは、食べ物じゃないよって。
人だよ、人の愛だよ温もりだよって。
繋がりだよって。
もっと別の生き方があるよって、もっと上手な生き方があるよって、
もうひとりで頑張らなくていいよって。
もっと人に寄り添った、温かい世界があるよって。
人っていいもんだよって。
人との繋がりが、生きる希望だよって。
それを気づかせるためにやって来たのだと思う。
それまで人の愛とか温もりとか知らなかった私に、その温かい世界を経験させるために。
人と、自分と、繋がるために。
おわり
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