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【摂食障害の生きづらさ】こころの科学を読んで

摂食障害の生きづらさ 摂食障害

摂食障害の生きづらさ

こんにちは。ろぺ @rope624 です。

今日は、最近発行された『こころの科学 2020年1月号 「 摂食障害の生きづらさ」』を読んでいて、

自分とリンクする部分や共感できる部分がいろいろとあったので、

摂食障害の生きづらさ」ということについて自分の経験と照らし合わせて書いてみようと思います。

ちなみに『こころの科学』は、日本評論社から年6回偶数月に発行されている、心や精神に特化した雑誌です。

定期購読やバックナンバーなどもありますので、ご興味ある方は検索してみてください。

 

 

自分を犠牲にして生きている

自分を犠牲にして生きている

摂食障害の方は、今まで自分が出逢ったりお話してきた方を含め、本当に優しい方ばかりです。

人のことを気遣ったり心配したり、思いやりがあって、人の為になるような事にやりがいや生きがいを感じる方が多いです。

そういう「人の為」になるような仕事をしたいという方もたくさんいらっしゃいます。

私もそうです、人の役に立つことが自分自身の生きがいにも心の支えにもなっていますし、

その生き方や心の在り方は、今後の人生でも目標にしていきたいことでもあります。

実際、私はこれまでも自身の描いた筆文字が人の目に触れ、感動してくれたり泣いてくれたり笑ってくれたりした瞬間に、何度も救われてきました。

自分の描いた作品が、「誰かの為」「人の為」になった時に初めて、自分の生きている意味を感じられました。

それまでずっとこんな自分は生きてたらいけない、死んだ方がいい、生きてる意味なんかないと思っていたのですが、

その時に初めて、こんな自分でも生きていていいんだ生きてきた意味があったんだ、そう心から思えたんです。

長い年月、病気で苦しんできた意味も見いだせたような気がします。人は人の為に生きているのだなと、思えた瞬間でした。

人の為に何かをして、その人が喜んでくれたり幸せになってくれることは、自分自身にとっても喜びや幸せになります。

人の為が、結局「自分の為」になって返ってきたりします。

けれど、時にそれが「自分を犠牲にしている」場合があります。度が過ぎて自分の健康を害してまで人の為に尽くしてしまうのです

いつからかどこからか、境界線が引けなくなってしまいます。自分と他人の境界線が曖昧なようなのです。

おそらく本人は気づいていません。(私自身そうだった)本人は良かれと思ってやっていることが多いです。

でも実はそれは、自分をすり減らしている行為でもあったりします。

親のため、友達のため、彼氏(彼女)や旦那さん(奥さん)のため、自分より相手を優先して、自分を犠牲にしてまで尽くして生きていた、そんな経験皆さんもあるのではないでしょうか?

相手が喜んでくれるなら何でもする、相手が笑ってくれることが喜び、自分はどうでもいいからとにかく相手に幸せになってほしい…

「人の為」という精神はとても素晴らしいことですが、それが自分の幸せを壊してまで行っていては少し話が変わってきます。

やはり、人の幸せの前に「自分の幸せ」ありきだと思うのです。

よく言う話ですが、自分のコップに水が満たされていなければ人にもあげることはできませんし、そんな状態であげていたらすぐに自分が干からびてしまいます。

それは相手にとっても辛いことではないでしょうか?そんな状態で相手の為に何かしても本当に相手は喜んでくれるでしょうか?

私は嫌です。本当に大切な人が苦しい姿は見たくないです。

「これ以上はやり過ぎ」というくらい、度を超えて行き過ぎた親切や行為は、自分にとっても相手にとっても、後々苦しさや面倒なことをもたらすと思います

もはやそれは依存の領域です。その関係性はお互いを幸せにはしません。

その親切や行為が、本当に相手の為になっているのか、相手を幸せにしているのか、そもそも自分は幸せなのか、自分が苦しいだけではないのか、

いま一度自分自身に問いかけ、よく考えてみる必要があると思います。

 

「NO」が言えない

NOが言えない

なぜ自分を犠牲にしてまで人に尽くそうとしてしまうのでしょうか?

そうなる原因のひとつに「NOが言えない」「断れない」という特性があると思います。

嫌と言えないんです。大丈夫と言ってしまうのです。

嫌われたくないとか、人に迷惑をかけたくないとか、良い人に思われたいとか、そういうこともあると思いますが、それ以上に

これまでの人生がNOを言わせてもらえる環境になかったことがあげられるかもしれません。

そのために、それが当たり前になっているんです。になっているんです。

「YES」を言うのが当たり前。自分の中に「NO」という選択肢すらない

大丈夫だよ」が自動返信のように口から出てくる。

それは無理」「できません」という言葉が自分の辞書にはない

子どもの頃や過去に、断ったら怖い思いをしたのかもしれません。冷たい態度をとられたり冷たいことを言われたり、圧力をかけられたりしたかもしれません。

逆に過保護で守られ過ぎていたかもしれません。親や大人の意見がすべてで、自分はそれに従ってさえいればいい、

親が喜んでくれるなら、先生が喜んでくれるなら、自分は自分を犠牲にしてでも親の為に喜んでくれそうなことをするんだ、

そんなふうに思っていたかもしれません。

自分の意見を言わなかったのです。言えなかったのです。

そうやって押さえつけられたり傷ついたりを繰り返していると、次第に自分の気持ちにフタをするようになります。

もう言っても無駄だとか、言って傷つくくらいなら言わない方がマシだとか思うようになるのです。

そのうち自分の無力さを痛感するようになって、自発性主体的な生き方を失っていくのです。

 

つきまとう無力感~コントロールできない食欲~

付きまとう無力感

そうして生まれた無力感は、根深く自分につきまとうようになります。

自分には価値がない、何をやっても上手くいかない、自分はダメな人間だ、無力な人間だ…

いつもそんな風に思っている摂食障害の方は多いのではないでしょうか。

ですが、その無力感を生み出している原因が、幼い頃や過去の経験や記憶から来ているものかというと、それもまた少し違うのではないかと思います。

もちろんそれも影響しているとは思いますが、それを増長させているのは過食や体重へのコントロールに対しての無力感ではないかと思います。

初めはおそらくそれが逆だったはずです。

唯一コントロールできるのが体重や食事だったはずなんです。だからダイエットにのめり込んで行ったと思います。

頑張れば頑張るだけ数字や見た目に表れ、それが自信にも誇りにもなっていた。

あたかも体重や自分をコントロールできているかのような感覚、食べることを制限できている自分はこの世を支配している、そんな感覚さえ私はありました。

ところが、それがいつからか暴れだし、コントロールできなくなった食欲と体重に、今度はこちらが苦しまされるようになったのです。

今まで唯一コントロール出来ていると思えていたはずの体重や食欲に、コントロールされるようになってしまった「私」は、自信も誇りも失い、もはや自分自身すらも見失っていきました。

そうしてさらに大きな無力感にまとわりつかれるようになり、灰色の世界を生きるようになったのです。

 

世界と他者と繋がれない

世界と他者と繋がれない

 

大きな無力感や虚無感を抱えるようになった私は、人や社会を避けるようになりました。どんどん孤立していきました。

ですが、この人や社会とうまく「繋がれない」感覚は、思い返せば子供の頃からそうでした。上手く他人と繋がれたことがなかったんです。

友達とは何なのか、私にはよく分かりませんでした。自分と違う生き物がそこにいる感覚でした。

一緒に遊んでいても気を遣うだけだから一人でいるほうが楽だったし、友達と遊んでも楽しいどころかいつも疲れ果てていました。

そして帰ったら帰ったで、また家の中でも緊張していたんですよね。

親に心配をかけないように、親に笑顔でいてもらうために、楽しく友達と遊んできたフリをしていました。

私は何も心配ないよ、元気だよ、大丈夫だよって。仮面をつけて生きていたような気もします。(んなこと当時の自分はもちろん気づいてなかったけど。)

いつも世界は怖かったです。大人は怖かったです。この世は怖くて冷たくて未知で何も分からなくて、いつも不安や緊張感がありました。

だから一人の世界が好きでした。一人で遊んでいるときが一番安心できましたし、唯一自分でいられました。

自分という肉体の中に自分の世界を持ち、その閉ざされた小さな世界の中だけが自分の居場所だったんです。

その中で一生懸命、自分の身を守っていたように思います。

それが、もしかしたら摂食障害という世界にも繋がっていたかもしれません。

摂食障害という世界の中で、一生懸命自分と繋がっていました。食べものを通して自分と会話していました。

この現実世界や、人間社会や、他人と上手く繋がれないもどかしさや苦しさをそこにぶつけ、またそこから逃れる方法でもありました。

毎日一日が終わると、摂食障害という小さな箱の中に自分を押し込んで、食べものとお話するのです。

今日も辛かったよね、大変だったよね、よく頑張ったねって。

その姿は、あの頃の自分と同じでした。

ひとりでお人形ごっこをしてた、あの頃の自分と…。

そう考えると、やはり摂食障害というものは、辛さや苦しさや生きづらさから自分を守るためのものだったように思います。

決して悪いものではなかったんです。

だから摂食障害という病気を責める必要はないし、自分も責める必要はないし、それは今のあなたに必要だからそこにあるものだという捉え方でいいのではないかと思います。

なので、無理に病気を退治したり取り除こうとするよりは、その病気を必要としている子どもの自分の心を理解してあげようとしてください。

子どもの頃、お人形さん遊びを必要としていたように、大人の私はこの病気を必要としているのだと思います。

大切に大切にいつも抱きかかえていたお友達のお人形さんが、大人になって食べもの(摂食障害ちゃん)に変わっただけ、そんな風に今の私は思っています。

いつか、摂食障害ちゃん今までありがとう〜バイバイ!って思える日が、皆さん全員に来ることを願っています。

 

バイバイ摂食障害ちゃん。クマのぬいぐるみとわたし

 

ろぺ
ろぺ

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。

参考文献:永田利彦・他 『こころの科学 2020年1月号 「 摂食障害の生きづらさ」』 日本評論社


こころの科学(209) 特別企画:摂食障害の生きづらさ [ 永田利彦 ]
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