こんにちは。ろぺ @rope624 です。
先日こんなツイートをしました。
いくら苦しんでいる人に優しい言葉をかけても、大丈夫だよって伝えても、受け取ってもらえない時がある。どうしようもない時がある。だから、いつでも自由に来て受け取ってもらえるように、ブログに書き残しておくんだ。押しつけても仕方ない。各々のタイミングでしか受け取れないのだから。
— ろぺあゆみ (@rope624) December 29, 2019
Twitterをしていると、苦しんでいたり悩んでいたり迷っていたり、生きることに行き詰まっている人達をたくさん見かけます。
その時に心配して声をかけることもあるのですが、あまりいい反応ではなかったり、全く反応がなかったりもします。
時に思わず「こうしたほうがいいんじゃないかな」とか、「それはちょっと違うんじゃないかな」と言いたくなってしまう時もあるのですが、
やはり私はそれが出来ません。
なぜかというと、自分がそれをされた時に全く聞く耳を持てなかった経験があるからです。
ただただ人のアドバイスや親切が「うざい」としか思えなかった時があるからです。

うざいなんて言ってごめんなさい🙏💦でもその時は本当に聞ける余裕も体力も気力もなかったんです。
心を開いてもらいたいなら無理やりこじ開けない
これは自分の経験からも言えることですが、何かに悩んだり苦しんだりしている人はとても警戒心が強いです。
例えば優しい言葉をかけられても、お世辞じゃないかとか、何か裏があるんじゃないかとすぐに疑います。
その人を信用するまで、受け入れるまでにとても時間がかかるんです。
その人がどういう人か、どんなことをしているのか、どういう発言をしているのか、
そういうことをある程度知れるまでは距離をとります。線を引いてそこからこちら側には来させないようにするんです。
もちろんドアにはガッチリ鍵がかかっていて、ノックしたとしても出てきてはくれません。
そんな時、出てきてほしいからと何度もノックしたり、無理やりドアをガチャガチャしても逆効果です。
よけい警戒心は強くなります。
私はそれをやられて自ら連絡を絶ったり、怖くて怖くて着信拒否をしたことが何度もあります。
だからそうではなく、相手が自ら鍵を開けたくなるような、ドアを開けてちょっと外を覗いてみようかなと思ってくれるような
そんな環境だったり心の状態をつくってあげることが大切なのではないかと思うのです。
コミュニケーションはキャッチボール
人とのコミュニケーションはキャッチボールのようなものだと思います。
一方的にボールを投げているだけではダメなんです。
準備ができていないのに、相手がグローブも構えていないのにボールを投げてもキャッチできるはずがありません。
相手の状態を見て、きちんとグローブを構えているかどうか、
受け取れる準備ができているかどうかを確認してからボールを投げるんです。
それもなるべく相手が受け取りやすいスピードで。キャッチしやすい球を投げてあげることが大切だと思います。
一方的にどちらかがボールを投げているだけでは上手な関係はつくれないと思います。
人にはそれぞれのタイミングがある
人と仲良くなりたい、喋ってみたい、その人の話を聞いてみたい、話を聞いてもらいたい、
そんな風に誰かと距離を縮めたいと思った時には、
やはりまずはこちら側から心を開くことが大切だと思います。
まずは自分がどんな人間なのか知ってもらう必要があります。
ですが、上にも述べたように、一方的にこちら側の話を聞かせていればいいというものではありません。
それでは押しつけになります。相手もビックリしてよけいガードも硬くなります。
とくに心が弱っていたり疲れていて、毎日苦しいと言っているような人には、話を聞ける余裕や気力すらない場合がほとんどです。

とくに摂食障害でろくに栄養も摂れていない状態だと、頭も働かないし、常に飢餓状態で食べ物のことばかり考えているので、心の余裕どころか話を聞ける思考力も気力も体力もないんです💦
私も苦しかった時は、どんな優しい言葉も応援の言葉も、ラジオから流れてくる雑音のようにしか聞こえませんでした。
人がかけてくれる言葉がテレビの砂嵐のようでした。
人には、人生には、それぞれの「タイミング」というものがあります。
その言葉を受け取れるタイミング、受け取るべきタイミング、
受け取れる心の状態や身体の状態、環境があります。
それがやってくる時期があります。
そうでない時には、どんな素晴らしい言葉もアドバイスも、ただの言葉の羅列に過ぎません。
心には届きませんし、心は動きません。すり抜けていってしまうだけです。
だから待つことも大切なんです。
その人が話を聞ける心と体の状態になるまでじっと見守ることも、コミュニケーションのうちのひとつだと思います。
いつでもその人のタイミングで来てもらえる「ブログ」
ではそのタイミングを今か今かと待ち続けて「今だ!」という瞬間が来るのを毎日見守っているのかというと、
そんなことしてたらこちらが壊れます。
何年かかるかも分かりません。
だから私はこのブログに自分の言葉を残しておこうと思ったのです。
いつでもその人のタイミングで好きな時に好きなように来てもらって、
その時に読みたい記事を読んでもらえるように、そして私の思いや言葉を受け取ってもらえるように。
その人のタイミングとペースで訪れてほしいと思ったからです。
私ができるのは、その招待状をドアの前に置いておくことぐらいです。いつでも待ってるから来てねって。
ブログであれば、何年経っても待っていてあげることができます。
5年後も10年後も読むことができます。
それがブログの素晴らしさだと思います。
「ブログは資産だ」と言っている方がいましたが、本当にその通りだと思います。
今までの人生の経験や知識をここに書き記していくことで、自分が生きた証にもなりますし、その情報が誰かの為にもなると信じています。
そしていつまでも何年経っても残すこともできます。
いつかここが図書館のような存在になれたらいいなと、そんな夢を描きつつ、これから何年も何年もかけてこのブログを温めていこうと思います。

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました!
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