こんにちは。ろぺ @rope624 です。
今回は少し摂食障害の本質というものについて考えてみました。
ですが、摂食障害は本当に奥が深く、今でも闇に包まれている部分も多い病です。
こんなブログの一記事では表現しきれませんし、何が絶対とも何が正しいとも言えません。
これもあくまでも私一個人の見解として読んで頂ければと思います。
摂食障害は自尊心の病(ヒルデ・ブルックの言葉)
これは奇妙な病気だと思いませんか。食欲とか食物とか体重に関連する病気のように言われていますが、実はそうではないのです。対人関係で自分が人からどう見られているかという自尊心の病気なのです。
出典:ヒルデ・ブルック『やせ症との対話』星和書店1993年、70頁
これは精神科医ヒルデ・ブルックの有名な言葉です。
ヒルデ・ブルックはドイツ出身(1904年生)の精神科医で、主に摂食障害や拒食症の研究をしていました。
この言葉を初めて見たとき、私はとても腑に落ちました。自分でも食の問題は表面的な問題に過ぎないと思っていたからです。
食べる食べない、太る太らない、痩せる痩せていない…それらは表面的に現れた症状であって、根本的な問題はそこではないと思っていました。
彼女が「自尊心の病気」と言っているように、摂食障害の方は自尊心が欠落していて自己否定がとても強いと思います。
いつも自分を否定しています。こんな自分、私なんか、価値がないと思っています。
もちろんそれは思い込みです。
幼少期から今日までの経験や知識の蓄積であり、育ってきた環境や、親や周りの人間関係や性格など、あらゆる要因が影響しています。
「摂食障害」なんて病名ですから、一見食べることに関する病気のように思いますが、実際はもっともっと深く複雑です。
本質はもっと別のところにあり、それを食べものや食行動にすり替えているように思います。
自分の価値を「痩せ」にしか見いだせない
先ほども書いたように、摂食障害の方は自尊心が極端に低く、自分には価値がないと思っています。
私もそうでした、自分には何もないと思っていました。誇れるものも取り柄も、地位も名誉も、社会の中での立場も。
だからそんな人間、価値がないと思っていました。
そして、ちょうどそんな時にダイエットに成功すると、摂食障害の道に足を踏み入れるキッカケになるのではないかと思うのです。(これは自分の経験からも)
痩せることやダイエットや食べることを制限することって「自分をコントロールできている」感覚を生むんです。
痩せていることで体重や体型をコントロールできている自分を誇らしく思い、そしてそこに自分の価値を見出していきます。
ある意味、生きるための戦略なのです。
自分が活きるための、自分や自分の価値を保つための、自分の存在理由を作るための、策略なんです。
食べなくなって痩せていくのも、死にたくて食べなくなるわけではなくて、むしろ私は逆でした。
生きたくて生きたくて、自分を活かしたくて、自分の価値を高めたくて食べなくなったんです。
両親との関係
ヒルデ・ブルックによると、摂食障害や思春期痩せ症の原因には、幼少期からの両親との関係に問題があるとも言っています。
かまいすぎる親によってお膳立てされた子供は、自分の欲求や欲望を表現する機会を失うのだと。
確かに私も自分の欲求や欲望はあまり言えませんでした。なんて言うか、親の言うことややることが全てでそれに従っていればいいのだと思っていたんです。
自分の中では親が絶対でした。自分のやりたいや好きより、親の好きそうなものや親が喜んでくれそうなもの(こと)をいつも選んでいました。
つねに親の顔色を伺っていたんですよね。
ご飯のときも、親が笑っていなかったらすぐにチャンネルを変えました。親の好きそうな番組、親が笑ってくれそうな番組に。
親が暗い顔をしていると自分に問題があると思っていたので、良いことをしなきゃ、良い子でいなきゃといつも思っていました。
とにかく笑って欲しくて必死でした。親が笑ってくれそうなことは何かを必死に考えていました。
おそらくそうやって親を喜ばせようとか、親の欲求に応えようとしてきた子供は、親の欲望自体が自分の欲望になってしまうのではないかと思います。
そうすると自分の欲望が何なのか分からなくなってしまいます。
幼い時はそれで良くても、大人になってからが大変です。
自分の欲求や望んでいること、何がしたいかどう生きたいか、それが分からなくて人生の迷子になります。
だからこそ、それを考えるため、自分を見つめ直すため、自分を再構築するための大切な期間だとも思うのです、この摂食障害という病の時間が。
孤独感・愛情不足
孤独感や愛情不足、人との(心の)繋がりの薄さ、
これは摂食障害だけでなく他の様々な依存症や心の病にも言えることだと思います。
依存症の方が愛情に飢えているというのはよく聞きますし、摂食障害でも母と娘の関係などよく取り上げられていたりします。
愛情というとやはりまず母親が関連づけられるようです。
幼少期にあまり母親から愛情をもらえずに育ったとか、歪んだ愛情や家庭環境の中で育ったなどの話はよく聞きますし、そういう類の本も多く見ます。
なので、幼少期の母親や家族との関係は影響しているとは思いますが、ただそれが全てではないと思います。
それは原因のうちのひとつで、原因のひとつがクローズアップされただけで、他にも原因はたくさんあると思います。
それに、今だから思いますが、母も父も最善を尽くして育てて来てくれたと思います。
確かに私は幼少期、寂しかったり怖かったり、孤独を感じていたりしていました。でもそれが親のせいかというと、それはまたちょっと違います。
両親は一生懸命育ててくれました。初めての子育てを分からないながら苦戦しながらも育ててくれました。
愛も注いでくれました。
ただ、その愛の伝え方や愛情表現の仕方が下手くそだったのです。
とても不器用だったのです。表現の仕方がよく分からなかったのです。
そして私もそれを上手く受け取れなかったのです。
みんな、その時その時のベストを尽くしてここまで来たのです。
それに、私の知り合いの摂食障害の子は、母親とはとても仲が良いし愛もいっぱい受けて育ったと言っていました。
それでも摂食障害になったと。だから自分でもなぜなのか分からないと…。
原因なんて本当に人それぞれなんです。そして(下記にも書きましたが)決してひとつでもないんです。
そのことをよく知っていて欲しいと思います。
いろいろな要因が絡み合っている
わたしの思う摂食障害の実態
◎自己否定の病
◎自尊心の病
・対人(人間)関係の病
・孤独の病
・言えない病
・自分出せない病
・脳の病
・栄養の問題
太る痩せる食べる食べれない…それ以前に、その根底にある問題。そこを見ずしてこの病は治せない。
(あくまでわたしの持論です)#摂食障害— ろぺあゆみ (@rope624) December 23, 2018
摂食障害を構成する要素はいろいろあり、原因はひとつではありません。それらが複雑に絡み合って症状を生み出していると思います。
自分の考え方や生き方の問題や、環境や人間関係、仕事や学校でのストレス、孤独感・愛情不足、脳のしくみや体のしくみ、栄養の問題…
少し考えてみるだけでもいろいろ出てきますが、それらは大きくわけて3つに分類されるようで、
痩せている事がいいとか美しいとか、ダイエットを推奨するなどの社会的要因、人間関係や自尊心の低さや自分を認められないなどの心理的要因、身体の機能や脳のしくみや栄養の問題などの生理的要因、
それらが複雑に関連しあってこの摂食障害という病を発症しているようです。
私の思うところでは、摂食障害や心の病はある日突然なるものではありません。
確かに症状として突然過食が起きたり、何かの依存症の行動が出るかもしれませんが、
それまでに、そうなるような行動や考え方や生き方をもうずーーーっと長い間してきたわけです。
病気を発症する前から、病気の種をすでに抱えていたわけです。
それが積み重なり積み重なり積み重なり…溜まりに溜まって、ある時何かの拍子にポッと芽が出た、そんな感覚ではないでしょうか。
もっと言えば、子供の頃からすでに決まっていたかもしれません。
人の性格も一生も12歳までに決まるとか、一説によれば3歳までに人格が形成されるとかいう話も聞きます。
本当かどうかは分かりませんが、自分を振り返ってみても小学生の時点で今の自分が完成していたとは思います。
こんな言い方どうかとは思いますが、ほぼほぼ本人には何の罪もありません。
生まれてからこれまでの環境や経験や、人間関係や時代背景などによってその人も病も作られてきたわけで、
本人を責めたところでどうにもなりませんし、また親を責めるのも何か違います。
それ以上のもっと大きな力が働いています。
どうかご自身を責めないでください。摂食障害になってごめんなさいなんて、全くの筋違いです。
ご両親やご家族の方も、本人を責めないであげてください。そしてまたご自身のことも責めないでください。
突き詰めていくと分かると思いますが、これはもはや誰のせいでもありません。
責めるよりこれからどうしていくかを考えましょう。幸せになる方法を考えましょう。
そのほうがずっと建設的です。
苦しんだぶん以上、みんなで幸せになりましょう。
またそのためのヒントをこれからも書いていけたらと思います。

今日も最後まで読んで頂きありがとうございました。
参考サイト:
コメント